生後0か月が生後1か月になるまで
少し前に娘がハーフバースデーを迎えた
当日はささやかながら紙粘土のケーキと離乳食のプレートを作ってお祝いをした
当日はささやかながら紙粘土のケーキと離乳食のプレートを作ってお祝いをした
残念ながら意気込んで買ったチョコプレートはダイイングメッセージのような出来栄えになってしまい使い物にはならなかったが
娘は喜んでくれたような気がする
何より、私も準備していてとても楽しかった
何より、私も準備していてとても楽しかった
こういうことをするようになったのは、娘が産まれてからだろう
娘が産まれて半年、新生児から六か月児への変化は凄まじいものだったが
私自身も今までの自分とは180度変わった自分になった気がする
私自身も今までの自分とは180度変わった自分になった気がする
この半年は自分の今までの人生で一番内容の濃い半年だったのではないか
後にも先にもこんな貴重な経験は出来ないだろう
娘が大きくなった時にちゃんと振り返りできるように、たまには日記としての役割を果たす意味でも、出産~生後一か月までのことを少し書き出してみようと思う
娘が産まれた直後
胸の上に乗せられた真っ赤な赤ん坊が可愛いとは一ミリも思えなかった
胸の上に乗せられた真っ赤な赤ん坊が可愛いとは一ミリも思えなかった
元々子供が好きではない私だったが、自分の子ならきっと可愛いはず、という思いで出産を心待ちにしていた
なので娘と対面して、「これ本当に私の赤ちゃん?内臓じゃないの?」というくらい何の感情も湧かないことに大層驚いた
本当にこの不思議な生き物を愛してあげられるだろうか
不安のまま始まった母親生活だった
出産当日は娘は新生児室、私は病室で過ごした
産後ハイでテンションが上がり目がギラギラしていた私は、前日の夜中三時から起きていたにも関わらず一切眠くならず、13時から夫の来る20時頃までひたすら母子手帳を読みふけっていた
産後の縮みきった脳で読んでいたわけだから当然中身は全く覚えていない
本当に無駄な時間の使い方だったと思う
翌日は昼頃から母子同室開始だった
母子同室を始める前まで、私は産院から見るように指示された動画を繰り返し見ていた
内容はオムツ替え・授乳・沐浴の手順と揺さぶられっ子症候群についてだった
この時、すぐそばに夫もいたのだが、大量の姪っ子甥っ子のお世話で鍛えられた彼は動画には何の興味も示さなかった
それどころか、動画を食い入るように見る私の邪魔をするかのように話しかけてきた
「○○(姪っ子)が小さい時にオムツ替えでさ~」「ミルク作るときは~」「あ~そうそう沐浴で~」「揺さぶりは脳神経の~」
これは緊張しまくってる私をリラックスさせるための会話だったのだろうが、この時人生最高に気が張っていた私は
「うるせえな子育てOB面してんじゃねえぞテメェを揺さぶってやろうか」
と言ったり言わなかったりしたのだった
しかし実際に娘が病室に来ると抱っこすら恐ろしくて、大半のお世話は夫にしてもらった
娘を見て「小さいな」「可愛いね」を連発する嬉しそうな夫を見て、先程までの鬼のような私は姿を消して、「ああ、この人の子供を産んでよかったな」と思えた
今思うとこの感情のジェットコースター具合がいかにも出産直後の人間のそれだ
だが、この時点でも「小さすぎて怖い」「無事育てられるか心配」の方が勝っていて、娘を可愛いとは到底思えなかった
私が寝返ったのは、母子同室初日の夜だった
夜の授乳を済ませ、自室に戻り眠りについた私は、1時間たらずで娘の泣き声でたたき起こされた
重い体を起こして娘をコッドから救出したはいいものの、ここからどうしていいか分からず途方に暮れた
実はこの時、娘は産まれて初めてのうんちをしていたのだ
加えて、授乳と言っても私は母乳がなかなか出ず、ただ乳を咥え疲れて眠っていただけなのだから
お尻の気持ち悪さと空腹で不快指数100%だったのだろう
お尻の気持ち悪さと空腹で不快指数100%だったのだろう
しかし母親業1日目の私にはそんなことは分からなかった
授乳は三時間おきと聞いていたので授乳室にも行けず、オムツを替えるという発想もなく、困り果ててうんちまみれの娘をそうとは知らないまま抱っこした
すると、娘は泣き疲れたのか抱っこで体が温まったのか、スンと眠りについた
腕の中(というかほぼ腹の上)で眠る、小さな赤ちゃん
これがとんでもなく可愛くて私の中の母性本能とやらが目覚めた瞬間だった
そうか、あんなに泣いていたのは私を求めていたからなんだ
ただの空腹と尻の不快感で泣いただけの娘だったが、
産後ハイの私は自己肯定感がMAXだったため娘に求められたのだと完全に勘違いをしていた
それから次の授乳まで約2時間、うんちまみれの娘を眺めながら過ごした
勿論、その後授乳室に行ってオムツを開けた瞬間は「内臓全部出たんじゃないか?」って量のうんちにひっくり返った
ちなみにこの時、足についていたネームバンドに盛大にうんちを引っかけたわけだが
出産してもいないのに産後ハイMAXだった夫が「いい思い出だ」と言って頑なに捨てようとしなかった
出産してもいないのに産後ハイMAXだった夫が「いい思い出だ」と言って頑なに捨てようとしなかった
今でもうんち付きのネームバンドがうちにはある
そんな母子同室生活からはじまった0か月
あんなに不安で仕方なかったのが嘘のように、退院する頃には「育児おもしろいな!」と思えるようになっていた
オムツ替えや授乳は回数も多くて大変だったけれど、一日のほとんどを寝て過ごす娘を触れ合える数少ない時間だったし
何より新生児、とにかく面白くて可愛い仕草が多い
娘は新生児の割に表情がある方で、寝ているところを起こした助産師さんを睨んで舌打ちしたり、お風呂で気持ちよさそうにリラックスしてる赤ちゃんらしからぬ仕草や顔がたまらなく可愛かった
笑うわけでもないし意思疎通も出来ないけれど、一瞬一瞬が今しかない姿だと思うと本当に愛おしくなった
自宅に帰ってからも、きっと産後ハイのおかげではあるが「辛い」とはあまり思わなかった
産後ハイはひどかったが、産後ボケもひどかった私は、育児記録アプリの使い方がいくら読んでも理解できなくて
自宅に帰ったその日にはパソコンを開いて娘の成長記録をつけるフォーマットを自作した
それを紙媒体で印刷して、毎日手書きで授乳時間やオムツ替えの時間を記録した
今思えば相当アナログだ
うんちが出来たときには花丸をつけてやった
うんちが出来たときには花丸をつけてやった
とにかく寝ているだけの娘だったが、可愛くて可愛くて仕方なくて、一日100枚近い数の写真を毎日撮っていた
そして大変に迷惑だっただろうが、「私の赤ちゃん可愛いでしょう」と手あたり次第身内や友達に写真を送っていた
勿論同じく産後ハイの夫も、毎日帰宅すると娘の横(床)に寝転んで延々と顔を眺め、娘が寝た後は二人でアイスを食べながら写真を見た
(ちなみに私たちは未だにアイスを食べながら娘の写真を見る生活をしている)
(ちなみに私たちは未だにアイスを食べながら娘の写真を見る生活をしている)
夫の親バカぶりには少々驚いた
というのも、私は出会った当初から今の今まで、夫に「可愛い」なんて言われたことが無い
その彼が、娘には「可愛い」を連発し、ついこないだは
「娘ちゃんさ…親バカとかじゃなくて客観的に見てもオムツモデル出来るよね……」
と真剣な顔をして言ってきたのだ
ちなみに、あまりに毎日「可愛い」を連発するのでこの勢いで私も言ってもらえるんじゃないかと「私は?」と聞くと無視された
アニメやアイドルに一切興味の無かった夫に初めて「推し」が出来たのだ
推しにどんどん心酔していく夫の姿は、まさに「オタクの生い立ち」のようなものだった
唯一心配だったのが、産まれたときから体重が少なめだった小さい娘の成長具合だった
しかしこれについては私の心配をよそに娘はミルク缶の目安の倍量は優に欲しがった
日々どんどん体が重くなっていくのを感じて「これは一か月検診でどれくらい体重が増えているかが楽しみだ」と思っていたのだ
そしてやってきた一か月検診
残念ながら夫は仕事があったので、私は一人で娘を連れて産院へ行った
ここで私は地獄を見た
娘のギャン泣きが止まらなかったのだ
出発前にミルクを飲ませてきたにもかかわらず、病院についた頃にはもう腹が減ったと大騒ぎした
言っておくが、自宅から産院までは車で5分の距離である
言っておくが、自宅から産院までは車で5分の距離である
たまらず途中で授乳の為に退室させてもらったが、それでも足りなかったのか更に激しく泣きわめく娘を連れて待合室に戻ると、
それまで静かだった待合室のベビー達も泣き出してしまい、待合室では新生児の大合唱で阿鼻叫喚となった
それまで静かだった待合室のベビー達も泣き出してしまい、待合室では新生児の大合唱で阿鼻叫喚となった
うちの娘がすみません
そう思いながらもうちの娘も大騒ぎしているわけで私は為す術が無かった
大騒ぎしつつも何とか娘の健診は行われ、体重はしっかり増えて健康状態も一切問題ないとのことだった
この時、既に私の体力はエンプティランプが点きかけていた
しかしこの日は母親の健診も同時に予定されていたのだ
しかしこの日は母親の健診も同時に予定されていたのだ
獰猛な娘を連れて採血ルームに入る
「すぐ終わるからね」と言われ、娘を看護師さんに預けて私は採血をしてもらう
「すぐ終わるからね」と言われ、娘を看護師さんに預けて私は採血をしてもらう
はずだったのだが
この後、私は五回注射を打たれた
元々血管が細くて見えにくいのは自覚していたが、産後で貧血気味だったことも相まってか
まっっっっったく血管が取れなかったのだという
二回目以降、看護師は入れ代わり立ち代わり私の血管を捕まえに来た
「もういいです、健康なんで……」私の悲痛な訴えは勿論無視された
「もういいです、健康なんで……」私の悲痛な訴えは勿論無視された
入れ代わり立ち代わり看護師がやってくる
一番最後に何とか血を採ってくれた看護師は完全に目がすわっていた
この間、約30分
腹が減った娘は病院のベッドで暴れ狂い、ベッドの柵を蹴り、抱いてくれた看護師さんの髪を引きちぎろうとする暴挙
私は五回の注射に瀕死寸前
私の目線の先で大暴れする娘を見て「あれ連れて帰らなきゃいけないの……?」と倒れそうになった
なんとか採血を終え、内診まで済ませて異常が無いことが確認でき、ようやく解放された
帰りも抱っこ紐に入りたがらない娘を無理くり抱きかかえてタクシーに乗り込み近所のコンビニへ行ってしこたまお菓子を買ってきた
この日は産後一番疲れた日だったかもしれない
しかし、娘の成長を母子手帳に記録してもらえたこと
産院に娘を連れて無事訪問できたこと
入院中、病院で見かけていた赤ちゃんたちも同じように成長していたこと
どれも今までの人生では感じられないような喜びを得られた日でもあった
あの時、ただ寝ているだけで絵本を読んでも無反応、おもちゃを掴むことすらできなかった娘は
今では絵本を読むと笑ったり驚いたりするし、おもちゃを与えるとちゃんと遊べるようになった
今では絵本を読むと笑ったり驚いたりするし、おもちゃを与えるとちゃんと遊べるようになった
お出掛けもたくさんした
動物園、水族館、博物館や牧場へ連れていき色んなものを見せた
登山にも連れて行ったし船にも乗せた
登山にも連れて行ったし船にも乗せた
イルカショーを見たことや、山でたくさんの人に話しかけられたこと
産まれて初めての雪を不思議そうに眺めていたこと
私と夫が可愛い可愛いと言って毎日たくさん遊んだこと
娘は何も覚えていない
だからこそ、大きくなったら何度でも話してあげようと思う
娘に多くの喜びを貰って、もういつ死んでも惜しくないほどに幸せな今を過ごしているけれど
教えてあげたいことがたくさんあるからまだまだ死ねないのだ、私は
生後たった半年でこんなにセンチメンタルになってしまうのも我ながらどうかと思うけど
娘が成長しきって反抗期が来た頃に後悔しても遅いので、私はこれからも全力で親バカであり続けなければならない
娘が成人しても結婚しても孫が生まれても私は娘を推し続ける、そう決めているのだ
今夜も夫とアイスを食べながら推しの写真を見るのが楽しみで仕方がない